こころあそびの記

日常に小さな感動を

聖徳太子の縁日

 

 昔の大阪は、住吉大社から四天王寺という南北ラインまで湾が入り込んで、おかげで、今でも夕陽丘という地名が残るほど、夕陽が美しく臨めるところでした。

 民衆は西方を拝んで、いずれは極楽浄土に達することを願い続けました。

 それは、観無量寿経の修法の一つとされていますので、四天王寺の西門の扁額には「極楽浄土の東門」と書いてあります。お彼岸に西方を臨むとこの門の真ん中に太陽が沈みます。衆生の太陽信仰が古来千年以上に渡って続いている。人間の一番美しい姿が、本来人間は善性であることの証を示しているようです。

 そして、その門の西側に大阪庶民の阿弥陀信仰を支えてきた一心寺があります。

 此処は、浄土宗開祖法然が日想観を修せられた場所です。

 どちらのお寺も、上町台地の西側の端にあるのは、人々が極楽往生を切なる願いにしたことが形として残されているのです。

 あの世のことなど、年寄りの専売特許かと思いきや、若い人もたくさんお参りされていることに、私は希望を持っています。

 

 

 今日は、「太子忌御正當報恩法要」の日。旧暦の2月22日が聖徳太子のご命日だそうです。

 この日は、あらゆる伽藍が無料で拝観できます。

 縁日の出店も数しれず、参詣者の出身国も多彩でした。

 この日、月命日ということでひと月に一度開堂されるのが「絵堂」です。この小さな潜り戸を入ると、杉本健吉画伯が六年を費やして完成させた「聖徳太子絵伝」が壁面に描かれています。

 

 

 この絵堂の完成に合わせて、会津八一が詠んだ歌碑がありました。

 「うまやとのみこのみことはいつのよの

  いかなるひとかあふかさらめや」

 八一は杉本画伯と親交が深かったそうですから、この歌を詠んで完成祝としたのでしょう。

 

 

 広い境内は、何度来ても見落としがあります。

 次に来る時は、椿が開いているとを期待して、一番奥にある極楽浄土の庭を後にしました。

 

 最後に、どうしたことか、天王寺駅に向かう途中、おばあちゃんのことが気になりだしました。

 大阪千日前以南は刑場と墓場だったといわれますが、あべの霊園もそのなごりでしょう。有名人も数多く眠っていますので移すこともかなわず、ハルカスに見下されて広がる墓場です。

 「おばあちゃん、今日は頼みがあって来てん」

と、話しかけた途端、墓石にまぶしく日が差し込みました。おばあちゃん、ありがとう。応えてくれたと思った瞬間、涙が滲んだことでした。

 また明日。