こころあそびの記

日常に小さな感動を

やさしさ

 

 今回の南岸低気圧は関西に春の雪をもたらさずに通り過ぎてしまいました。でも、空の上ではまだ押し問答中のようで、天気雨が降ったり止んだりの一日です。

 子供の頃は「狐の嫁入り」と呼びましたが、これが関西限定の名前だったとは知りませんでした。ちょっとすてきに「日照雨」と書いて“そばえ”と読むことも。

 “春に三日の晴れなし”。移動低気圧がいくつも通過して、ようやく春本番になるのですね。

 

 

 下戸の私には無関係ではありますが、一度聞いたら忘れようのない「獺祭(だっさい)」です。

 『礼記』月令に「孟春の月、獺(かわうそ)、魚を祭る」とあります。

 川の水がぬるみ始める今頃、獺が魚を捕り始めます。食べる前に捕った魚を並べる習性があって、それを「獺祭」と名付けたとは、うまい表現だと感心します。

 また、詩文を作るために書物を羅列したり典故を多用することをを「獺祭魚」というとか。

 正岡子規は病床に多くの書物を集めたから、彼の別号を「獺祭書屋主人」ということも知りました。

 知らないことが多すぎて、お恥ずかしいことです。

 

 

 うちの孫。きのうの朝、約束があったにも関わらず、起きてきたのは昼前でした。

 当然、娘は怒っていましたが、私は彼の初めての熟睡をうれしく思いました。ようやく、心底、解放されたんだなぁと。

 

 

 しばらくして、「はい、おババ」と持ってきてくれたのは蒸しパンでした。

 「久しぶりに作ったから、どんなかわからんで」と言い添えて。

 そんなぁ。どんな出来であっても、嬉しいに決まってます。

 一年間(本人曰く四年間)という辛かった時間で様変わりすることもなく、以前と変わらぬ優しさがうれしいことでした。