昔むかしから、御神木といわれてきた木もありがたいことですが、そこに神さまがおられるかどうかは分からないと聞いたことがあります。
神さまだって引っ越ししたい気分になることがおありかと。
境内を歩いていると、何かを感じる木と遭うことがあります。そこに神さまがお遷りになっているかもです。
何百年も生きた樹は、それだけで御神木です。
今日は旧暦の5月26日です。
近頃、芭蕉の奥州の旅の日付を追っています。
明日、27日は山寺を訪ねた日とされています。山寺の正式名称は宝珠山立石寺(りゅうしゃくじ)といいます。
芭蕉の奥州の旅の目的は、太平洋側の松島と、日本海側の象潟を観ることでした。
ですから、その松島に感激しすぎて句にならず、眠ろうとしても眠れないとまで書いています。
江戸の人にとって、海上に小島が浮かぶ光景が、そこまで絶景に思えたところに、時代の格差を感じないではいられません。
日本全国どころか、世界の観光地の検索が直ちにできてしまう現代はありがたく思う反面、想像力に欠けてしまうのは否めない事実でしょう。
そんな海好きの芭蕉にとって、山寺は当初、旅程に入ってはいませんでした。しかし、尾花沢で前夜まで長逗留させてもらった清風に勧められて、しぶしぶ?行って良かったです。
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
この句が詠まれたお寺として、人々に一度は行ってみたいと思わせ続けるでしょう。それも大きな貢献です。
そう言う私も、ミーハー心で、もう二十年以上前に行きました。
今になってガイドブックなどを見ると、“千段以上の石段が続く”とあって、あの若さ?だから行けたものでした。
それは、真夏の暑い日でした。なので、句の中の「蝉の声」は蝉時雨とばかり思っていたのです。
でも、今回、日付から、梅雨明けが近づいた頃と分かりました。
閑けさの中に蝉の声が響く山寺。今までの理解では不十分と知ったことです。
さて、昔の人の博学ぶりに感心ばかりしています。
今のように、情報が氾濫していないので、漢籍や万葉集、古今集の完全暗記が、文章の内容を豊かにしています。
こないだも、夏の季語「優曇華」を紫式部が「源氏物語」に書いていると知り驚きました。
優曇華の花待ち得たる心地して
深山桜に目こそうつらね
光源氏の美しさに遭遇して、三千年に一度しか咲かない優曇華の花にたとえ、巡り会えたよろこびを表現しているそうです。
この年になって、古典から学ぶことの多さに感動しています。
昔の人は偉かった!
それは、MBSテレビのコーナーの名前ではなく、勉強量にもいえることです。
今更、もっと勉強しておけばよかったと悔いても仕方ないので、せめて、先人の足跡を辿って、感動を共にしたいと思っています。