こころあそびの記

日常に小さな感動を

まなこくもるとも・・

 

 珊瑚樹の実が真っ赤で、曇天のもと存在感を放っています。

 

 

 高畑町という所は風情のある町です。父が存命のころ、年賀状の宛名書きの代筆をしていたことがあります。

 その中に”高畑町”に住まわれている方があって、どんなところだろうと思ったりしていましたが、その後訪れる機会があって、すっかり魅せられてしまいました。

 小川さえ流れておれば、京都の白川にも匹敵しそうな趣とは言いすぎでしょうか。

 

 

 さて、入江泰吉写真館を後にして、新薬師寺へ到着。

 747年、聖武天皇の病気平癒を祈願して、お后の光明皇后によって創建されたお寺です。当時は、東大寺並ぶ大きさを誇ったといいます。

 ちなみに、この寺の名前についた冠の「新」は、新しいという意味ではなくて、あらたかな薬師如来像を七体も蔵した祈りの寺ということで、今でも、薬師悔過(やくしけか)が行われています。

 

 

 最後に来てから、かれこれ十年は経っています。

 久しぶりにお目にかかった薬師如来像は、あのころと同じようにように壮健でいらっしゃいました。

 こちらから悩みを訴えようとして見る仏は、自分とは次元が違う遠い所におられるように見えるもの。ですが、この年まで元気にいかしていただいたと思って拝めば、そうかそうかと降りてきてくださるように思えます。

 ここでも、年を取ることのありがたさをしみじみ感じたことでした。

 

 

 本堂の入り口に佇む歌碑が会津八一の詠んだものです。

 

 ちかづきて あふぎみれども みほとけの みそなはすとも あらぬ さびしさ

 

 この歌で彼が仰ぎ見たのは、ご本尊薬師如来像ではなくて、香薬師像でした。そんなこととは知らずに、堂内の十二神将を見て回って、多くの写真家の心を奪う伐折羅大将を見終わり、ホッとして置いてあった椅子に腰掛けました。

 と、そこにある小さな囲いが目に入り、中を覗いてみたら、そこにおられたのが、香薬師像のレプリカでした。

 このお像は、もと、聖武天皇光明皇后の御念持仏だったそうですが、なぜか三回も盗難にあっています。

 八一が詠んだのは、実像だったようですが、三回の盗難の後、今も行方不明のお像です。

 

 

 昭和17年に歌碑が建立された知らせを聞いて八一が詠んだ歌があります。

 

 みほとけは いまも いまさば わがために まなこ すがしく まもらせたまえ

 

 この歌から、会津八一は眼病を患っていたことがわかります。新薬師寺薬師如来は目を守ってくださる仏だったのです。だから、相対すると眼光が迫ってくるのですね。

 

 もう一つ、好きな歌を上げておきます。

 

 たのめりし ふたつのまなこ くもるとも こころ さやけく すみわたりなむ

 

 たとえからだに衰えがあっても、こころさやかにありたいものです。