(青桐の実)
トラックから下ろされる桐の箪笥。今は紛失してしまったセピア色の写真に写る情景をうっすら覚えています。
戦後の混乱の中、物のない時代に嫁入り道具を集めるのは大変だったことでしょう。戦前に嫁がせた娘とは雲泥の差の荷物で送り出さざるを得なかった祖母の胸の内は苦しいことだったろうと、自分も親になった今は分かります。
桐の箪笥は着物が平服だった時代には必需品でした。
後に母から聞いた話では、トラックに乗っていたのは、祖母の持ち物を都合したものであったようです。
今、我が家には二竿の桐の箪笥があります。
一つは私のために両親が買ってくれたもの。
もう一つは、祖母の思いの詰まったあの箪笥です。
何度か処分されそうになりましたが、捨てることはできませんでした。一度洗いにかけはしましたが、さすがに引き出しの底に隙間があいています。
それでも、たっぷりとした深さがあるから娘たちのチェストとして役に立っていることはうれしいことです。
今まで親娘四代に使われる強靭さは、やはり、桐だからだと思います。桐は軽くて丈夫で湿気をうまく逃がすところが和服の管理に絶大な人気がある理由です。
こんなに愛着を持っていますので、長らく桐といえば箪笥の桐と思っていました。
ところが、初夏の頃、阪大構内で青桐が花をつけているところを見て、あの家紋につかう桐は青桐のことだったのだと知りました。
青桐は中国では昔から、鳳凰が止まる瑞兆木とされていたそうです。それが日本にも伝わり、皇室の紋にも菊と共に使われたとか。豊臣秀吉が使った五三桐も、彼らしいチョイスだったのです。
青桐は見たところ柔そうで、桐の木より劣るように勝手に思いこんでいました。ものを知らないことは恥ずかしいことです。青桐が作ってきた歴史物語も興味深いものだったのです。
「桐一葉 日当たりながら落ちにけり」虚子
この句に表現されたシーンが見られるのももうすぐです。
ゆらゆら落ちていくところが詠まれているなら、この桐も青桐の葉っぱのことに違いないと、隣家の塀からはみ出すまだ青い青桐の葉っぱを見ながら思っています。