こころあそびの記

日常に小さな感動を

二月の七日市

 

 寒い朝でしたが、きのうから決めていた箕面大滝行きを決行しました。

 歩けば頭の整理ができると人は言うけれど、何も考えていない者にとっては、整理というよりも見るもの出会うものすべてに心ときめくのが散歩です。

 滝道に陽が差し込み始めた時間に出発。

 

 

 滝道が美しく保たれているのは、この公園事務所の人たちが朝早く清掃して下さっているおかげです。

 枯れ葉は足を滑らす原因になりますから、取り除いて下さるのはありがたいことです。感謝。

 

 

 今日一番の感動!

 ルリビタキのつがいに会えました。瑠璃色ってこういう色なんですね。かわいいね!って声かけたら、近寄って来て私を見てくれたんです。本当なんです。しばらく、小鳥のそばを離れられませんでした。

 

 

 滝は凍っていませんでしたが、周りの飛沫が凍って氷柱になって白く輝いていました。

 今季一番の寒さを目で確かめられた気がして満足したことです。

 

 

 この角度の写真。何度も撮っていますよね。

 なぜか、この橋を素通りできないのです。今日も美しかったなぁ。

 

 

 今日は七日。護摩供養に時間を合わせて行者堂に急行。

 祈願の護摩木のお焚きあげが終了して外に出たら、先代さんが一人で落ち葉を集めていらっしゃるのを見つけました。千載一遇のチャンスをいただいたとばかり、お声かけしてみました。

 「早くに引退されたんですね」

 「譲ったからには、一切関わらない。私もそうやって一人で考えてやってきましたから」

 「そうでしたか。若ご住職さま、しっかりお話されるようになりましたよ」

 「そうですか。うれしいなぁ」

 「退いたら何も云わない。時代が変わっていくのですから、任せましょう」

 ありがたいご法話を拝聴できました。

 豊かな時代、子どもの手を離せない親が増えています。しかし、子どもの幸せは彼らが自分の手で作るもの。冷たいと云われても、離した手を握りかえしては子のためにならないことを教えていただきました。

 「役行者の気を感じるいいお寺になってきましたね」

 そう伝えたときにお見せになった清々しい笑顔は、この世のお仕事をし終えた人のお顔でした。

 

 

 見かけた人、出会った小鳥、お話した人、空の雲、水音。すべてが、どんな作り話よりも琴線を震わせてくれます。

 幼い自分にもどる方法は散歩することです。そして、幼い自分に会えたら、なんや、全く変わってないやん。それに気づけば、幸せの本質に近づけるのかもしれません。