こころあそびの記

日常に小さな感動を

林檎の思い出

f:id:snowrumirumi:20211217195013j:plain


 今朝一番に目にしたのは、朝の詩「林檎の季節」でした。
 四季を通して、天塩にかけて世話する岩木の方々を彷彿とさせる作品でした。
 東京在住の男性の作ということなので、想像の産物なのか望郷の思いで作られたのかは分かりません。
 どなたが作られたにしても、ラストの「津軽の宝石は凛として紅い」に、まいりました。朝に相応しい爽やかな贈り物を頂戴しました。
 
 岩木嶺や どこに立ちても 林檎の香  大祇

 今頃、岩木山を臨む林檎園では、お礼肥えをして枝を整えてと、本格的な冬に入る前の作業にお忙しいことでしょう。

 ところで、林檎は、あのパキッとした噛み心地がいのちです。そんな林檎は近くのスーパーでは手に入りにくいので、夏の終わりに長野の林檎園に予約しました。
 まだかな、まだかな?と待っていたところ「今年は長雨の影響で不作です。形も蜜の入り方も例年通りではありません。それでもよろしいでしょうか」と電話がかかってきました。
 「もちろんです。ずっと待っていました。楽しみにしています」とお応えして、届けてもらいました。
 難儀して実ったと思えば、余計にかわいさが増します。なんといっても、この大きさはどうでしょう。
 こんな見事な林檎をいくつも実らせる林檎の木の逞しさを想像するだけで感動します。
 かねてより、春の林檎園の美しさを訪ねてみたいとの望みを持っていましたが、それだけでは片手落ち。大きな赤い宝石が鈴なりに実っているところも是非見てみたいと思うようになりました。
 箱から出して両手に包んで台所に運ぶとき、「よくこんな立派に育ったね」と声をかけずにおれない林檎たちです。
 
f:id:snowrumirumi:20211217195031j:plain

 さて、林檎はどんな風に剥かれますか?
 我が家では、母が等分にカットしてから剥いていたので、そうするものだと思っていましたら、学校で丸剥きをしている子がいたので真似しているうちに、今ではグルグルと剥くようになってしまいました。
 グルグル剥きは一種のパフォーマンスです。最後まできれずに剥けたらお慰み~なんて、子どもたちが喜ぶからついついやってしまいます。
 でも、それは、あくまでも見せ物。心を込めて剥くとなれば、カットしてから綺麗に剥のが本流かと思いますがどうでしょう。
 どの剥き方であっても、人によって手指の使い方が違うところが面白いものです。その人の器用さや、扱いの美しさが見えるように思います。
 上手に剥いていた祖母の側で剥きあがるのをじっと見ていた頃を懐かしく思い出します。
 同時に、「相変わらず、あんたは雑やな」と叱る母の声も聞こえてきそうです。
 大きくて真っ赤な林檎を仏壇に供えたら、ご機嫌なおしてくれるかな。