こころあそびの記

日常に小さな感動を

白珠という宝

 「漢方」を標榜しているにもかかわらず、漢方の話が少なくて、それを期待して覗きに来てくださる方には申し訳ないことです。
 
 世間が健康情報で溢れていることからも、関心の高さがわかります。
 それでも、健康になる方法を獲得する以上に大切なものがあるはずと思いだしたのは、ある先生の言葉からです。

 その先生は、子育てを終えて働き始めた職場近くで漢方薬店を開業されていまして、漢方に興味を持ち始めた頃の私に大きな影響を与えてくださいました。
 なんといっても、漢方に対して揺るぎない信頼を寄せておいででした。
 ここでいう漢方は東洋哲学に近いニュアンスです。
 
 私たちは四季を見てるようで、見ていません。健康情報に右往左往するのは、的確に観察できていないのではないかと疑うほどです。大切なことは、自然と人間の関係です。
 
 たとえば、もうじき秋がやってきます。
 その先生が教えて下さったのは、
 「落ち葉がかさこそ舞う様子から、乾燥していることがわかるでしょう。自然を観察してたら、今、どんな状態で、どうすればよいかがわかる」という言葉でした。
 そうなんです。古代の人が観察したようによく見れば、自然が答えを教えてくれているという事実ほど、真理を突いた言葉はありません。

 乾燥の季節とわかれば、潤すという方法が有効であることは自明の理です。
 店頭には、早くも梨や桃が並び始めました。
 いずれ、スイカや茄子は姿を消して、小芋や百合根に場所を譲ることでしょう。
 何を食べたらいいのかなんて知らなくても、お店に並ぶ順番、自然が準備している順番に逆らわなければ、健康に過ごせるのです。

 どんな情報よりも、この真理を知ってさえいればよいと教えて下さったことに感謝しています。

 その大恩人は突然の病により、お店を退かれました。
 もっともっと、広くこの真実を伝えたかったと無念の日々を過ごされているでしょうか。
 いや、彼女の勉強はきっと続いていると信じています。
 なぜなら、生きるというテーマほど興味深いものはないからです。

 昨日、元興寺で見た石に刻まれていた言葉。
 「白珠は人に知らえず知らずともよし
  知らずとも吾れし知られば
  知らずともよし」 万葉集巻6-1018

 どんなに説明してもわからない人にはわからない。わかる人にはわかる。白珠という宝物を、自分の内奥深くに持ちたいものです。