こころあそびの記

日常に小さな感動を

善性

 

 今日の午後は青山大学歴史博物館で公開講座がありました。午前中、盆踊りの練習してからだったので、さすがにあの坂道は堪えました。

 それでも、参加したからこその収穫もあって、有意義な時間を過ごすことができました。

 

 

 私はいつも、お寺の扁額が読めなくて恥ずかしい思いをしているのですが、近頃は、そんな私をサポートするアプリが出てきています。

 友人に教えてもらったら直ぐにダウンロードしたらいいのに、実行していないのは、急を要しないからですよね。そこが暢気な素人の証拠です。

 昔は図書館に籠もって古文書から探し出すために膨大な時間を費やした学者さんですら、今や、パソコン一つで事済んでしまいます。時短そのもの。これから先はもっともっと進化していくことでしょう。

 しかし、書くという作業が減るというのはどうなのでしょう。

 昔の人の教養は、書き写しすることから始まったそうです。

 『古今和歌集』『伊勢物語』『源氏物語』なとは、基本中の基本だったとか。

 武将といえども、書写をしていたといいます。

 筆と紙の準備はできてるのに、一歩が踏み出せない自分と比べてしまって、ちょっとだけ刺激になりました。

 

 

 そして、細川幽斎は和歌の師範役で、古今伝授の継承者としてあの時代の教養を牽引したとか。

 すごい人だったことを教えてもらいました。

 どこかで、細川家は別格、と読んだ記憶があります。その意味が分かりました。

 

 

 信長も秀吉も家康も、社会を牽引するために生まれてきた理由があったことでしょう。それこそ、過去世の経験層が厚いことが想像できるところです。

 そんな庶民から遠い人でなくて、庶民の中に生まれた人にも素晴らしい性根を持った人が、今、話題の「武井壮さん」です。

 近頃、テレビを見て泣くことはなかった私ですが、あの「ファミリーヒストリー」は泣けました。

 SNSは感動のコメントに溢れていて、それを見てるだけでまた涙。

 経験が人を作るとしても、この世の経験は熟成するだけの時間がないのですから、そんなに簡単には生かせないと思うんです。

 だから、彼は過去の経験に基づく良質な心を、この世に持って生まれてきたものだと、私は思っています。

 人は善性であることを信じたいのです。