こころあそびの記

日常に小さな感動を

秋と詩と歌と

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 3日前の朝の蒸し暑さはどこへやら。9月の声を聞いた途端に、関東では明日は長袖の準備が必要とか。
 変則的なのは夏だけではなくて、この調子では秋もどうなることやら心配なことです。

 秋の訪れは、人の心をセンチメンタルにさせます。それは昔から変わらないらしくて、五行でも秋の情緒は「悲」です。
 遠い昔から人々がこの季節の自然から受けるのは、舞い落ちる枯れ葉に見るもの悲しさでした。
 
 昔の人に倣うではありませんが、この季節には詩歌の本を開いてみたくなります。
 秋の色は白。白い秋といえは白秋です。
 北原白秋の最大の遺産は「童謡の作詞」であると誰もが認めます。子供が歌えて、しかも大人も郷愁に浸れる童謡というジャンルが廃れゆくのは本当にさみしいことです。
 私も歌って子育てをしました。トップはなんといっても「ゆりかご」ですが、次いで「赤い鳥」をよく歌いました。
 単純な繰り返しの中に、やさしさが宿っています。

 「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い
  赤い実を食べた

  青い鳥小鳥 なぜなぜ青い
  青い実を食べた

  白い鳥小鳥 なぜなぜ白い
  白い実を食べた」

 歌っている間は、トゲトゲした自分を忘れることができました。
 
 ところで、先日は漢字の奥深さを知ったかぶりをしましたが、お恥ずかしいことに、実は、漢字が苦手です。この年になっても読めない漢字の多いこと多いこと。これは、高校時代に勉強をサボった後遺症だと思っています。
 しなければならないことは、後送りにしたところで、必ずやらなければならないようになっている。と聞かれたことがあると思います。
 私が、大形徹先生と出会って、漢字の勉強をせざるを得なくなったのは、高校時代のやり残しを完成させてあげようというどなたかのお計らいだったのでしょう。
 もちろん、完成にはほど遠いことですが、漢字の成り立ちを教えていただいたことで興味を持てるようになったことはありがたいことでした。

 とはいえ、平仮名の丸い美しさも好きです。
 昔、シミだらけの「麗しき春の七曜またはじまる」という山口誓子さんの俳句が床にかかっていました。
 この文字の軽さに惹かれたものです。
 平仮名は心まで軽くする効用がある字体です。

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 さて、秋は心遊びが全開できる季節です。
 お家に居ても心は飛ぶことができます。
 たとえば奈良に遊ぶなら、唐招提寺会津八一の平仮名句碑の前に佇んでゆっくり鑑賞してみましょう。
 
 「おほてらの まろきはしらの つきかげを
  つちにふみつつ ものをこそおもへ」

 半月後の満月の夜。
 日常をさて置いて、このおおらかなひらかなの句の中の月だけを心眼で見るのも一興ではないでしょうか。