こころあそびの記

日常に小さな感動を

雑記

 

 真っ青な空に飛行機雲の軌跡が見えた昨日から一転。ゴールデンウィークの最終日は鎮めの雨になりました。

 

 

 そんなことで、外出もままならず、昨日の続きでご辛抱くださいませ。

 生垣の陰にひっそりと咲いていたシラー·カンパニュラータ(球根釣鐘草)の検索をすると、この花が咲く場所には妖精が住むと記してありました。

 どんな方が住まわれているのかと振り返ったら、玄関に祇園祭の厄除け粽を見つけました。

 

 

 目を凝らして見たら、「登竜門 鯉山」と書いてありました。

 函谷関の上流の渓谷を上りきった鯉は龍になれるという中国の故事からひいたものでしょう。

 もう、古い伝説など誰も彼も忘れて生活しているように思えるのですが、身の回りにこんな伝説が生きていることを発見すると、遠い古人の生活が見えるような気がします。

 祇園祭シルクロードの果てまで見られる壮大な絵巻物。この立杭の里の人が祇園祭を応援される民度の高さを見て、この動く文化財の保存を一層念じたことです。

 

 

 ところで、先日、出先でふと逸翁美術館が思い浮かんで、川西から呉服橋を渡って歩いて行きました。

 電車の中吊りに「呉春」の字を見てから、心に掛かっていたのです。

 芭蕉のことが大好きな蕪村、その弟子となった呉春。

 三人はそれぞれ独自の個性をもって江戸期の文化を支えた人たちです。

 私は、蕪村が好きだから、「奥の細道」の全文の書をいつかは真似てみたいと密かな願いを持って、時々、インターネットで見たりしています。

 呉春が画に添える賛は、当たり前ですが、その師、蕪村の書体によく似ているようで、興味を持ちます。

 ただ、三人三様の中で、一番軽い?面白い人間は呉春であったろうと想像できるところが、線に出ているように感じます。

 とはいっても、蕪村亡き後は円山応挙に付いて、あの代表作『白梅図』が生まれたのですから、天才はなんとでも描けるんだと、出品されていた実物の前の椅子に座って圧倒されて帰ってきました。

 

 

 それぞれの絵札の中に、たんぽぽの絵があしらわれているものがありました。

 まだ、絵を習う前の作品らしく、筆の素描が生き生きしていていましたので、覚えておいて真似して描こうと思いましたが、それはもとから無理な話でした。

 今では、平たかったなぁ。とか、花はたれていたなぁ、くらいしか思い出せません。

 箕面の滝道の中ほどにある「時習堂」には、音羽鮨の創業者である田舞徳太郎さんが思いを込めて収集されたものが集めてあります。

 その中の、坂村真民さんの書に「たんぽぽ堂」という絵付きの落款を見つけたのは、あの場所ができた直後だったように記憶しています。

 あの前で行われる護摩焚きには行っても、入館からは足が遠のいています。久しぶりに行って、あの落款を見てこようかな。

 見て、絵入り篆刻に挑戦しようかな。絵に描いた餅ならぬ、夢に見た絵ばかりがたまっていくことです。