こころあそびの記

日常に小さな感動を

おいしさの演出

 朝日を受けて羽を金色に輝かしてトンボが群舞しています。
 名前は「赤トンボ」としておきましょうか。
 明日は処暑です。
 今週末には秋霖予報。梅雨明けが早かったように、今年は季節の歩みが前のめり気味です。秋の訪れが目にさやかに映る日も遠からじでしょう。

 散歩していたら、すれ違いざまに女性の声が耳に入ってきました。
 「ここに昔、うどん屋さんがあってさぁ」
 ですよね。
 懐かしくて、私も思わず記憶をたどってしまいました。

 駅から遠い場所に、テーブルが5、6個ほどの小さなうどん屋さん。
 なのに、いつも外まで行列ができていました。毎週末に通いつめました。もちろん、おいしさが決め手ですが、それ以上のものがこの店の魅力でした。
 それは、女将さんです。
 か細い体を和服と真っ白な割烹着で包み、か細い声で応対されました。
 そんな人ならどこにでも居るって?
 そこからなんです。違いは。
 客の好みはすべて頭の中に入っていました。
 わがままな父が何もいわなくても「ネギ多め、お汁多め」の品が出てきます。小さい声で「今日はお孫さんもご一緒?」と他のお客に迷惑にならないよう、しかもさびしがり屋の父の性質まで見抜いて、彼が一番喜ぶ言葉掛けをしてくださるのです。店を出た後、しばらく上機嫌であったことはいうまでもありません。
 今なら、パソコンに記憶させておいてマニュアル化という手もありそうですが、これを瞬時に笑顔と共に出すことはなかなかできないことです。
 まさにプロフェッショナルでした。

 私たちは食べるという情景に何を求めるでしょう。
 例えば、同じお蕎麦のお店でも、蕎麦を食べていただく雰囲気を演出している店と、事務室みたいな空間で、上手さを押し付ける店と。どちらがより美味しく感じるでしょう。

 倉本聰さんが、食べるということは、口で味わうだけではない。
 嗅覚、触覚、視覚、聴覚、第六勘などすべての感覚に訴えて、初めて美味しかったという記憶になるとおっしゃってるのを観て、大いに納得したものです。

 私は北海道には三回も行ってるのに、それは、倉本聰さんが富良野に行かれる前でしたので、へそ部分には行ったことがありません。
 「北の国から」は子育てで十分に観れませんでした。「やすらぎの郷」は働いていて見落としました。
 緒形拳さんの「風のガーデン」だけは、しっかり観せてもらいました。
 富良野が倉本ガーデンであるうちに一度は訪れてみたいと想っています。